漫画原作者 猪原賽BLOG

「学園ノイズ」「悪徒」「放課後カタストロフィ」の原作者/ブロガーが告知したり漫画の作り方、関連ニュースをお伝えします

原作付きマンガにおけるマンガ家が陥りやすい「失敗」とその理由〜避けるために猪原が心がけていること〜

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前回のエントリーから続きます。

なんで私が「小説原作」「脚本原作」を書かないのか、そしてなにより「シナリオ原作」に対するマンガ家の改変に寛容なのか。それは、原作付きマンガを描くマンガ家が陥りやすい「失敗」を避けるため、です。
その「失敗」とは――

iharadaisuke.hatenablog.com

<前回のエントリーはコチラ

 1・マンガとは「絵」のメディアである

マンガは、「文字」と「絵」で構成されています。しかしどうしても「絵」に重点が置かれるもの。
よく外国人が日本のマンガを読むとき、こう言いますよね。

「日本語はわからないけど、絵を見りゃだいたいストーリーを追える」

マンガは「文字」と「絵」で構成されたメディアですが、「絵」が語る情報量は非常に多く、「文字」はそれを補完するものに過ぎません。

まずはその点を皆さんに確認してもらいます。

1-1:怒りの表現をマンガと小説で比べてみる

まずマンガを見てみる

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ここに2ページのマンガがあります。私が原作を書いている『放課後カタストロフィ』第1巻の一幕。
怒っている少女は「恐怖の大王」。寝坊して2015年に降臨し、ノストラダムスの大予言が成就しなかったせいでオカルトにシラケムードの人間達に、新たに「2099年地球滅亡新予言」という恐怖を与えた上で、将来地球を滅ぼそうとしています。
……が、実はオカルト的な秘密結社「イルミナティ」が、大王よりも先に地球を滅ぼそうとしており、「予言」よりも先に地球を滅ぼされたら困る大王が……

と、ちょっとあらすじ紹介しすぎましたが、そんな状況で恐怖の大王は激おこです。

マンガでは、ここで「(余は)怒った」というセリフや説明は不要です。恐怖の大王は「怒っている」と絵でわかりますから。

では、小説ならばどうでしょうか。

小説の場合

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<赤く囲んだ部分がマンガの文字には不要だが、小説では必要な部分>

逆にマンガから、改めて小説のように書き出してみました。

「激怒した」という情景描写、あるいは説明セリフが必要となるのがわかっていただけますね。

なんせ「文字」でしか内容・ストーリーを伝えられないので、説明が多くなります。改行の多いラノベであっても、特に一人称小説の場合、地の文も意味合い的には「セリフ」に近いでしょう。

これは、小説じゃなくても、脚本でも同じです。私のスタイルの「シナリオ」であってもです。「文字」でしか相手(この場合、作画のマンガ家)に、ストーリーを伝えることが出来ない以上、実はマンガにした場合に限っては、不要な文字が含まれている。

1-2:「原作」と出来上がる「マンガ」はどうしてもセリフが変わる

原作(脚本・シナリオ・小説限らず「文字」で提供する場合)では、作画家にストーリーや情景をわかってもらうために原作を書く。文字で。
それを渡せば、「絵」として「マンガ」として構成し直した時、

  • 「ここ説明セリフいらないじゃん」
  • 「絵だけで“感情”を伝えたほうが迫力が出るんじゃない?」

という齟齬が出るのは当たり前。
その演出を考えるのは、コマの構成(ネーム)を描くマンガ家です。

どうしたら無駄なくコマが収まるか。
セリフを削り、絵を魅力的に描けるか。
マンガとして、一切の無駄を省かねば、見開き2ページが読者に窮屈に見えてしまう。
コマ数だけの問題ではなく、フキダシの中のセリフも同様。絵で伝わる、絵と意味が被るセリフはバッサリ切っていく。

「絵」と意味の被る「文字(セリフ)」があれば、「絵」を優先し、削られるもの。文字で書かれた「原作」とは、「絵=マンガ」という着地点がある以上、そういうものです。

 

もうおわかりですね。原作付きマンガにおけるマンガ家が陥りやすい「失敗」とその理由……

1−3:原作付きマンガにおけるマンガ家が陥りやすい「失敗」

原作に書かれたセリフをそのままマンガにして、セリフがすべてを説明してしまう。(=絵が二の次になってしまう。)

セリフと絵が同じ意味を重複し、無意味に情報量が過多になる。(=ひとつのコマで、セリフも絵も自己主張し、くどくなる。)

これは単に読者にとって読みにくいものになり、マンガ家としても原作の「文字」に引っ張られ過ぎ、自分の「マンガ力」を発揮できないことになります。

 

ただしこれは、その原作が「文字ベース」に限る話で、ネーム原作はまた別の話です。それはもう「絵を描くマシーン」に徹するのが最善です。

1−4:漫画原作者とは、裏方である

前回、私は書きました。


マンガ家は漫画原作者がいなくてもマンガを描けるが、漫画原作者はマンガ家がいないとマンガを作れない

ひとつの「マンガ」という作品を作るために、漫画原作者が出来ることは、ストーリーを作ること。マンガ家にその“素材”を提供すること。

つまり、名前が出ている「作家」でありながら、その実質は「裏方」でしかない。

漫画原作者は、「マンガ」という作品を仕上げて発表するマンガ家のために、そのお手伝いをしているに過ぎません。

だから私は、原作からマンガとして仕上がった際のセリフの改変に、文句は付けません。
マンガとして一番美しい形に仕上がるのならば、自分の原作は“素材”。
それをおいしくキレイな“料理”に仕上げたマンガ家さんには、敬意を評します。そして感謝をします。

1−5:セリフだけじゃなく「構成=ネーム」が変わるのも当たり前

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前回紹介した、私の書く「猪原式シナリオ」を見てください。これは、マンガの見開きページを想定して、6、7ページのコマ構成、コマ数まで指示してあります。が、完成した横島さんの見開きも、もう一度チェックしてみましょう。

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実はこの見開きページには、私のシナリオの「6、7ページ」より前の「4、5ページ」の最後の1コマ分が入っており、その分私のシナリオの最後の2コマ分は、次の見開きに送られています。

この意図は明白です。横島さんが描いた、前のページを見てみましょう。

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まず前のページの最後のコマでロング(引き構図)で描き、劇場で銃撃したテロ犯が「どんな姿で出て来たのだろう?」と気を持たせます。
気になった読者は、ページをめくる。すると……

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ショッキングなテロ犯の顔が、大きなコマで現れる。


こうした、次の見開きへ読者の興味を誘導することを「メクリ」と言うんですが、私の原作シナリオではこの「メクリ」を用意していなかったのです。

本来、私はこうした「メクリ」に気を使ってシナリオを書いているのですが、ここは「メクリ」ではなく、「場面転換」(つまり、ページをめくると場面が変わっている)の意図で、ページを区切っていました。

でも、やっぱりめくってショッキングな顔が現れるほうがマンガとしては良いんじゃない? という判断が横島さんにあって、彼がページ構成(ネーム)をそのように改変した、ということです。

ここはこれが正解だったと思います。しかしそれがわかるのは、実際マンガとして完成されてからのこと。
そうしたマンガ家のフレキシブルな、マンガとして正解を導く構成を期待した場合、私のシナリオがそのまま、100%コマ構成が変わらずマンガになるわけがないのです。

セリフのみならず、構成(ネーム)がシナリオから改変されても当然である。そういうスタンスで私は原作シナリオを書いているのは、そういう訳があるのです。

2・だから猪原は原作の改変に寛容である

2−1:猪原は文字を書きながら頭の中でネームを描いている

もうおわかりでしょう。私が書く「猪原式シナリオ」は、ページごとのみならず、コマ数まで指定した形のシナリオ。だいたいのコマ構成(ネーム)を頭で描きながら、文字おこししているのに過ぎません。

それはかつてコンビマンガ家であり、実際ネームを描いていた経験から、しかし絵を描くのが面倒(笑)ゆえに出来ることであり、重ねてここで前々回の「漫画原作者になるには、まずマンガ家になれ」という部分を理解してもらえると思います。

頭の中で、マンガの構成(ネーム)の理想が出来ている。それを目指して、マンガ家に描いて欲しい。そして私の理想より更に上回る構成が出来るのなら、改変もまったく厭わない……

だから猪原は、小説原作は書きません

セリフが削られる事前提で、説明セリフや地の文を考えるのはムダだと思ってしまう。小説としての体裁よりも、マンガとして着地するために、冗長な文章を書いてるヒマはありません。

小説原作ではなく、最初から「小説」を書けと言われれば、小説は書けますけども。アマチュアレベルですけど。

だから猪原は、脚本原作は書きません

頭の中でネームを描いている以上、カメラワークや構図までイメージしている。このシーンではこのキャラの顔をアップで! 横顔で! 表情見せないように背面向きで! そういう部分まで踏み込んでシナリオを書いています。
映像脚本においては、そうした「演出」は「演出家」なり「カメラマン」なり「監督」なりの仕事です。状況とセリフだけ。そういうソリッドなものが映像脚本。

私はそれ以上に踏み込んで、文字を書いてしまいたい。

脚本原作ではなく、最初から「映像脚本」を書けと言われれば……書ける! と言いたいところですが、これはちょっと難しいかな。詳しく書くとそれだけでもうひとつエントリーが書けるくらいですが、それでもちょこっと説明すると……

私は映像脚本の「時間感覚」を持っていません。書こうとするストーリーが、だいたい何ページのマンガになるなーという「ページ感覚」は持っているのですが、それが何分、何時間になるかなーという「時間」として把握出来ないんですよね……。これは今後の仕事のためには、身につけなければならないものとも自覚しているんですが。

漫画原作者 猪原賽は、マンガ家の「アドリブ」に期待している

あくまで私が書くのは「文字」であり、「絵」がつくと、「マンガ」になると齟齬が出る。
自分の書く「原作」は「文字」のみであるゆえに、冗長な部分がまだまだある「素材」でしかない。

「マンガ」という完成品を作るために、セリフ、構図、構成……マンガ家がその素材をどう「改変」しようと文句はない。

それは「改変」ではなく、マンガ家の「アドリブ」とも言える。

私は、私の書く原作に対するマンガ家の「アドリブ」に期待している、ということです。

ただしこれは、マンガ家の力量で、私のアタマの中に描いたネームより、より良いものになっているならば。の話です。というわけで……

今後、私の「原作」を料理する「マンガ家」さんがいらっしゃったら、そんなスタンスで俺は原作書いてるって事、忘れないで欲しいんですよ! がんばってくださいね!w

2-2:私の「漫画原作シナリオ集(電書版)」販売中です 

漫画原作のゲンバ (上)

漫画原作のゲンバ (上)

 
漫画原作のゲンバ (下)

漫画原作のゲンバ (下)

 

上巻は107円、下巻は215円です。「猪原式シナリオ」で書かれたマンガ原作と、それに対する横島一さんのネーム作例が収録されています。
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2−3:言及した本

放課後カタストロフィ(1) (ヒーローズコミックス)

放課後カタストロフィ(1) (ヒーローズコミックス)

 
ガンロック 1 (少年チャンピオン・コミックス)

ガンロック 1 (少年チャンピオン・コミックス)