『インターステラー』観て来ました。NewsACTでも映画レビューを上げたりしてますが、たまにはこっちで。
改めてSFは漫画に習ったのだと、特に藤子・F・不二雄先生の偉大さを感じましたね。
ちなみに歌舞伎町のミラノ座で観て来ましたよ。もうこの劇場に来るのはこれが最後かな……。
さて、『インターステラー』ですが、ざっくりどうしようもない感想を言ってしまえば、
手塚治虫『火の鳥』と藤子・F・不二雄のSFだったなと。
パクリとかそういうんじゃなくて、それらを知っていたからこそ楽しめた宇宙SF。あの時読んだ『火の鳥』の、『ドラえもん』や『SF短編集』の壮大なドラマ性、そこから学んだSFというドキドキするひとつのジャンル。その現状最高の映像とドラマがここに結実してるんじゃないかなと。
サイエンスのサの字も理解していない文系脳の俺でさえ、『インターステラー』で描かれた”サイエンス”を理解し、だからこそ感情移入しうるキャラとそのシチュエーション。手塚治虫、藤子・F・不二雄。すげえなと思ったのです。
ひとつシーンをネタばらしするなら、ワームホールを紙とペンで説明するシーン。ドラえもんを良く知っていれば、ドラえもんがのび太に「ワープ」という概念を説明するシーンとまるで同じであることにニヤリとします。
(いえ、実はドラえもん以前に先行するSF作品がそう説明していたのを、F先生がなぞったのかもしれません。ガチのSFマニアってわけではないので知らないだけかも)
地球と宇宙で時間の進み方が違う、一旦宇宙に出れば、地球に帰って来た時はウラシマ効果で、恋人もおばあちゃんになっている。これは火の鳥で多く描かれて来たシチュエーションです。
そんな複雑な物理法則、子どもの頃から知っているなんて、そりゃ漫画の影響に決まってる。ミュータント、クローン、タイムパラドクス、四次元……SFのモチーフとなっている”サイエンス”用語の全ては、ぜんぶ漫画で習った。これすごいことじゃないですか? それが物理学的に正しいかどうかは別として。
『インターステラー』で描かれた”サイエンス”が、実際宇宙物理学的に正しいかどうか、それは知りません。宇宙物理学だけで考えても、正しいとされているだけで、実際見たこともないものを予想しているだけかもしれません。それを映像化する。ドラマの舞台装置にする。演出道具に使う。別にデタラメでもいいんです。サイエンス”フィクション”ですし。
ただ、物理学なんて赤点だった俺が、そのだいたいの概念を理解し、『インターステラー』を楽しむ。これ、全部漫画のおかげなんだと感動したという話で……
あれ?
これ『インターステラー』の感想じゃねえな。
じゃあご大層に「レビュー」とか言ってNewsACTにアップせずに良かったな。なんてな。