作品に必要な資料をファイリングしました。
なんとも言えぬアナログ感に、2014年感ゼロ。
てゆーかこんな形のファイルが未だに売ってるとは思いませんでしたよ。
いや、実際売り場を見たら、この手のタイプがほとんど駆逐されていて、あまり量はなかったのですけど。
作品で必要だけども、なかなか手に入らない書物。
それを所有している友人から借りてコピー。
すべてスキャンして自前で電子書籍化――いわゆる自炊すれば良かったかなと思いつつ、時間と手間、そして資料を利用する環境を考えればこのアナログ・ファイリングで正解だったと思います。
ところで、この人に本を借りてコピーしてファイルするこの行為、学生時代を思い出します。
そして俺のブログでも空前のアクセス数をヒットした先日の記事を思い出します。
武蔵大学「クリエイティブ・ライティング」特別講演をした〜その途中で実施した挙手アンケートで、俺は愕然としたのです...
この記事は特に「学生はカード持ってないから電子書籍買えない」という自分にとっても目ウロコだった部分を中心に書きました。その要点のみ書き出され、その点ばかりが話題になるのも仕方ないと思います。
ですがもちろん学生が電子書籍になかなか手が出ない理由は他にもあることはわかっています。
例えば貸し借り、転売買等、リアルの本なら経済的理由からもコミュニケーションツールとしても手軽に出来る事が、電子書籍ではそれが出来ない。
他にも理由は挙げられるでしょう。
カードじゃなくってもAmazonギフト券がコンビニで買えるじゃないか、デビットカードがあるじゃないか、そんなはてブコメントも見えましたが、
実は俺のこの記事の主旨は、「学生よ、本を買え。電子書籍を買え。カードで買えないなら何とか学生が買える課金システムを構築しろ」ではなくて。
”インターネット”というものがある以上、ゆるゆると「コンテンツ」というものが「無料である」という認識が高まる流れは止まらないと思います。
本を買う、CDを買う、曲を買う、動画を買う、作品を買う――しかも中古でもレンタルでもなく新品で――それがその作者を支える正しいファン活動。俺もそう思いますし、作家としての俺もそうしてもらえると嬉しいです(笑)。
が、いくらそれを周知させようったって、図書館・古書店・中古店の存在と歴史を考えれば買えない・買わない層は昔からありますし、ネットの力でここまで無料コンテンツが当たり前となっている社会になってしまっては、手後れなんじゃないかと。
「作者にお布施する」という言い方があることから考えても、作者の「生活」を考えて作品を読み、買うなんてよっぽどマニアックなファンじゃないですかね?w
マンガで言えば、今では「Jコミ」が閲覧無料であっても広告によって作者に収入があります。
アプリも無料アプリには広告が付いていることが当たり前で、課金すれば広告が外れる仕様なのは皆さんご存知の通りだと思います。
(これはまた別の話で想像でしかないんですが、アプリ開発者というのはここまでスマホが普及した今、課金収入より広告収入のほうが多いんじゃねーかと思ってます。)
「広告」というのはそういう意味で、コンテンツの享受者が無料で体験しつつ、作者に正しい収益がある経済システムであることは確か。
ですが、実情・現状としては上記の「よっぽどのマニアックなファン」の方々の経済活動のほうが、特にマイナーな作家にとっては収入はいい。そしてそれは今後尻すぼみに少なくなっていくだろう。
そして「作家」が経済的に死んでいく前に、
「広告」以上の、無料だけど正しく作者に収益があるような画期的なシステムが生まれないものか。
じゃないにしても、もうちょっと「広告」の収入が作者を生かすという認識が高まらないか。*1
俺はそれを他力本願的に、誰かに考えて欲しいなあと願っているのです。
そういう意味では前の記事が多くの人の目に触れ、考えてもらうキッカケとなればいいなと思ったのですが、ちょこっと「学生とカード」の部分にフィーチャーされ過ぎたかなーとw
ま、俺は作家だし、連載もしてるし、そーいうシステム的な部分は俺の仕事じゃないですからね!
@masillo (マンガで、新作で話題にされたい……)
— 猪原賽【放カタ2巻発売中】 (@iharadaisuke) January 23, 2014
こういうことですよ!!
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*1:ただこれは、まとめブログというビジネスモデルが出来てしまった以上、なかなかに一度ついたマイナスイメージの払拭は大変だよなとも思うw